なんちゃらかんちゃら

日記、記録用

文章のゆくえ

知人が仕事の関係で悩んでいた。
悩むというより、現実を悲しんで、ひどく落ち込んでいた。
ネガティブの負の連鎖で、悲しいことにウジウジと悩んでる自分にも嫌気がさして、悲しさ倍増という感じだった。

私はふと、ネットサーフィン中に見かけたブログのURLを送ってみた。
ほんの軽い気持ちで。
すると、それまでどんな励ましも効果がなかったのだが、そのブログをきっかけに元気を取り戻した。

彼女は、そのブログの中から何かきっかけを掴んだようだ。

個人的には、送ったブログはあんまりいい文章じゃないかな、と思っていた。
ブログのタイトルと最初と最後で話の着地点がいつの間にか変わってるし、例え話が絶妙!みたいな感もない。

だけど、彼女は、その文章で元気を取り戻した。

きっと、そのブログの主張である「人の幸福は自らの意思決定の程度で決まる」的な主張が、彼女の抱える問題解決の糸口になったのかもしれない。
名文で無くても、その瞬間に一番ほしい一言が明記された文章で、彼女は救われたのだ。


いろんな人が、いろいろな目的で文章を書く。
筆者独自の世界観で、読み手を感動させるような名文だったり、論理的に構築された文章で持論を多くの人に伝えたり。
感心するくらい、きれいで、筋の通った文章が沢山ある。

でも、彼女の悩みを救ったような、「論理矛盾はあるけれど、伝えたいことが伝わって、読み手にアクションを起こさせる」みたいな文章が、僕は好きだ。
洗練された文章も、伝わらなければ書いてないのと一緒。

だから、批判されたり間違えたりすることを恐れないで、どんどん伝えたいことを文章にすべきなんだなあと、ふと感じました。